七尾市の概要
平成16年(2004年)に、七尾市と鹿島郡田鶴浜町・中島町・能登島町が合併して誕生した新七尾市は、能登半島のほぼ中央に位置し、静穏な七尾西湾をはじめ、豊かな自然環境に恵まれています。市の中央には七尾西湾と七尾南湾、その北東に能登島があり、七尾湾では、日本海側最大のカキの養殖が行われるなど、日本海の幸が豊富です。また、開湯1200年を迎える名湯・和倉温泉を観光宿泊拠点とした、観光地としてのまちづくりに注力するとともに、木製建具の伝承技術などを活かすことで交流人口を拡大させ、「人が輝く交流体感都市」の実現を目指しています。
七尾のあゆみ
現在の七尾市の南西部の台地に、貝塚を伴う縄文中期〜後期の遺跡が発見されており、当時の様子をうかがうことができます。七尾は古くから能登国の中心地で、国津・国府・国分寺が置かれていました。
室町時代に、足利幕府の管領家のひとつ、畠山氏の庶流が能登国の守護職となり、城山に拠って能登に君臨し、栄えましたが、天正5年(1577年)に越後の上杉氏の攻略にあって落城しました。天正9年(1581年)に、前田利家が小丸山の地(現在の小丸山公園)に築城しましたが、徳川幕府の一国一城制で、間もなく金沢に城替えすることになりました。その後、城下町は残り、町奉行支配のもと、政治・経済・文化の中心地としての地位はゆるぎませんでした。
明治4年(1871年)七尾県が設けられ、県庁所在地となりましたが、翌年にこれを廃して、加賀・能登の2国をもって石川県と定められ、鹿島郡に属しました。その後、明治22年(1889年)に町村制を施行し、隣接の小島・所ロ・藤橋・府中それぞれの一部を加えて、七尾町となりました。
明治28年(1895年)と明治38年(1905年)の2度にわたり、七尾は大火に見舞われました。その後復興が進められ、大正2年(1913年)に、鹿島郡矢田郷村の矢田新、および矢田の一部を編入しました。昭和14年(1939年)に市制を施行し、鹿島郡西湊・石崎・徳田・矢田郷・東湊の5ヶ村と、和倉町の字和倉・宇奥原を加えて七尾市となりました。さらに、昭和29年(1954年)には鹿島郡の4ヶ村を編入し、人口5万人の都市となりました。
平成16年(2004年)に、七尾市と鹿島郡田鶴浜町・中島町・能登島町が合併して、新七尾市が誕生しました。「人が輝く交流体感都市」を目指して、歩みはじめています。
七尾の名前の由来
七尾の名前は、旧七尾城の山頂に続く7つの尾根(菊尾・亀尾・松尾・虎尾・竹尾・梅尾・龍尾)から名をとったものであるといわれています。
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| 七尾の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
蝦夷穴歴史センター |
| 住所: |
〒926-0213
石川県七尾市能登島須曽町タ21-5 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0767-85-2022 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
火曜日、水曜日(祝日の場合は翌日)、11月21日〜3月19日 |
| 入館料: |
無料 |
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